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フェリー情報

スエズ運河



ここでは、スエズ運河について紹介します。スエズ運河はエジプトにあり、地中海と紅海を結んでいる運河です。海上輸送の要所として世界中の船舶が往復しています。

スエズ運河完成までの道のり

スエズ運河完成までの道のり

地中海と紅海を結ぶ運河の構想は古代からあり、紀元前2世紀にナイル川と紅海を結ぶ運河の建設に乗り出していたという記録が残っています。また、ナポレオンが古代運河の発見に躍起になっていたとも伝えられています。実際に建設にあたったのはスエズ運河会社で、本格的に開始されたのは1858年12月15日です。運河の掘削には、10年の歳月がかかり、掘削には30,000人もの人員が常時投入され、のべ150万人にも及んだと言われています。当初、労働力の中心だったのは、コルヴェと言われる強制労働でした。しかし、イギリスからの非難を浴びたことでコルヴェは建設途中に廃止され、労働条件は大幅に改善されました。そして莫大な人員と費用をかけ、1869年11月17日にスエズ運河は完成しました。建設費は当初の見積もりを大幅に超え、2倍にも膨らんでいたと言われています。スエズ運河の開通式には、各国の賓客が招待され、先頭を切ってスエズ運河を通過したのは、フランスのエーグル号でした。次いでイギリスが続きました。華々しいスエズ運河の開通式は、「東と西との結婚」であると表現されました。

スエズ運河の役割

スエズ運河が完成してから、最初の2年は通行する船舶の数が予想を下回っていました。そこで、利益を上げるために、通行料の見直しが行なわれました。1873年12月18日に、現在のスエズ運河トン数とスエズ運河特殊トン数の起源になる基準と料金が定められました。スエズ運河によって航路が短縮されたことで、世界貿易は大きく飛躍しました。一方で、航路の短縮は、ヨーロッパの各国によるアフリカへの植民地化に拍車をかける原因のひとつにもなりました。スエズ運河建設に対して猛反対をしていたイギリスですが、いざ開通してみると、運河を通過する船舶のほとんどはイギリス船籍でした。スエズ運河は、ヨーロッパとアジア地域を直結する要所としての役割を果たしていました。

スエズ運河の危機

スエズ運河をめぐっては、世界的な危機が多く起こりました。1882年には、イギリスがエジプトに対して軍事介入を行ない、スエズ運河の自由航行に関する条約を締結しました。この条約により、スエズ運河はイギリスの管轄下になりました。

第一次世界大戦においては、イギリス軍の戦略的基地として重要な拠点になり、第二次世界大戦が終戦したあとも、イギリス軍は駐屯を続けていました。エジプトは条約の破棄と撤退を要求しましたが、イギリスが強硬策に出るなどの騒乱が起きてしまったのです。その結果、エジプト側が妥協し、イギリス軍はそのまま駐屯することになりました。しかし、この一連の騒動が、のちのエジプト革命を引き起こす原因となりました。その後も、スエズ運河は数々の危機にさらされています。スエズ運河を囲むそれぞれの国の不安定な状況が、その危機を生む原因のひとつとなっています。