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日本における貨客船の歴史「樽廻船」



ここでは、樽廻船(たるかいせん)について紹介します。樽廻船は、江戸時代に酒を運ぶ船として大坂と江戸を結んでいました。同じ廻船の菱垣廻船(ひがきかいせん)と並び、当時の海上輸送に貢献しました。

樽廻船の登場

樽廻船の登場

樽廻船が、初めて歴史上に登場したのは1730年です。それまでの物資の海上輸送の主流は菱垣廻船でしたが、多種多様な品物を積み込むため手間がかかり、輸送に日数がかかっていました。酒の入った樽は重いため、先に積み込まれることになりますが、その上に軽い荷物を順に積み込むことになるので、停泊している日数がかかってしまいます。その結果、長く積まれたままになる酒類は腐敗してしまうことがありました。さらには、運ぶ途中で嵐に遭遇した際には軽い荷物から海に廃棄されており、酒樽は重いため処分されることはなかったのですが、捨てられた荷の損害は均等に分けられていたため、自分の荷物は無事なのにもかかわらず、損害を背負うことになっていました。それらの理由から、菱垣廻船を利用して酒を運んでいた酒問屋は次第に不満を募らせました。そのため酒問屋は、独自の廻船問屋を作って酒を専門に輸送する樽廻船を運航し、菱垣廻船問屋から撤退することになりました。

樽廻船と菱垣廻船の競い合い

樽廻船は、酒を専門に運ぶ廻船です。船の造りは、菱垣廻船と大きく違うことはなく、弁才船(べざいせん)と似た形です。ただし、菱垣廻船に装備していた垣立(かきたつ)はなく、深めの船倉があり酒を輸送することのみを目的としていました。積み荷を酒に限定したことで、運送の合理化を図っているので、積み込みに時間がかからず輸送日数を短縮することができたのです。樽廻船の輸送日数が短いことが証明されると、酒以外の積み荷を載せることが多くなりました。樽廻船の輸送時間の速さが評価された結果です。その後、同じ荷を運ぶ菱垣廻船と海上輸送を競うことになりました。やがて、競い合いを防ぐために、菱垣廻船と樽廻船の間で、荷物の種類を分ける協定が結ばれました。この協定で、酒に加えて米や糠などを含む7品目は樽廻船での扱いを認めることになり、それ以外の荷物は菱垣廻船で運ぶことを定めた積み荷協定が結ばれました。しかし、この協定は長く守られることはありませんでした。樽廻船の台頭により、菱垣廻船は衰退を余儀なくされ、明治時代になってから、樽廻船と菱垣廻船は合体し、共同で組合を結成しました。