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日本における貨客船の歴史「菱垣廻船」



菱垣廻船(ひがきかいせん)は、江戸時代に海路を往復していた貨物船です。廻船とは、現在の貨物船と同じ意味で、港と港を結んで人や荷物を運搬する役目を果たしていました。

菱垣廻船の始まり

菱垣廻船の始まり

菱垣廻船は、1619年に和泉国の堺の商人が廻船を使って品物を輸送したのが始まりです。主に日用品を江戸まで運ぶのに使われていました。その後、大坂の商人である泉谷平右衛門が、菱垣廻船問屋として江戸積船問屋を開きました。1730年には、酒を主な積み荷とする樽廻船が登場しました。菱垣廻船では、扱う積み荷が重ならないように荷物の種類の分離が行なわれましたが、輸送時間の速い樽廻船に次第に押される結果となりました。

菱垣廻船と呼ばれる理由

菱垣廻船は、船の左右の船べりが垣立(かきだつ)ように囲われている構造をしています。垣立は、船の装飾と補強の役目をしています。その形が菱形だったことから、菱形の垣立を装飾している船を意味して「菱垣廻船」と呼ばれるようになりました。菱垣は木製の格子で、菱形に組まれています。船に取り付けられている垣立は、装飾の意味もありましたが、所属している輸送船グループの一員であることを知らせる看板の役目を持っていました。菱垣の大きさや形状には船によって違いがありますが、同じグループの船には必ず装飾されています。

菱垣廻船の積み荷

菱垣廻船と同時代に活躍していた輸送船に、樽廻船があります。樽廻船と菱垣廻船は船体の形においてはほぼ同じです。航路についても江戸と大坂を結ぶ輸送船として同じように航行していましたが、積み荷の種類は違いました。菱垣廻船は、食料品や日用品、いろいろな道具類など江戸時代の庶民の生活物資を輸送する役目をしていました。軽くてかさばる積み荷がほとんどだったので、重なるように積み上げていました。

菱垣廻船の運航方法

菱垣廻船を所有していたのは船主ですが、荷物の運送を依頼するのは荷主です。荷主とはいろいろな業種の問屋のことですが、その荷主と船主の間を取り持つのが廻船問屋で、荷物の手配を行なっていました。菱垣廻船の運航をするのは、船主に雇われた船頭たちですが、中には、船主をかねていた船頭もいました。荷主から依頼された荷物を運ぶ、この運賃積みが基本として行なわれていました。大坂から江戸に向かって運ばれていた荷物は「下りもの」と呼ばれ、質が良い品物であるとされ人気がありました。逆に、他の地域から運ばれるものは、あまり質が良くないものとされていました。これが現代で使われている「くだらない」という言葉の語源になっています。